小さい頃から物を集めるのが大好きでした。キャラクターのついたノートや消しゴム・シールなど、おこづかいを貯めて文具屋さんに買いにいっては集めていました。
お金に関しても似たようなところがあったかもしれません。
家は決して「裕福」とはいえない家庭だったので、欲しいものはおこづかいをためて買う。これが基本でした。
と同時に、お金やものの大切さというもののがいつのまにか身についていたように思います。
これこそが私の「節約」の原点なのかもしれません。
興味がある方がいるのかどうか分かりませんが、私の子供時代のことを少しお話ししてみようと思います。
貧乏だけど幸せだった子供時代
幼いころは、古くて狭い県営住宅のアパートに父、母、妹と家族4人で住んでいました。
当時は自分の家がよその家より貧乏だとは感じていませんでしたが、今なら分かります。常にギリギリの生活をしていたのだと思います。
家賃は1万円ほどだと聞いていたし、服もほとんどがいとこからのお下がり。
毎年年末に、新年のあいさつ用にと、ちょっとだけよそ行きの服を新調してもらえるのが嬉しくてたまりませんでした。
父は中小企業の会社員で朝から晩まで働きづめだったけど、「なかなか給料が上がらない」と言っていました。
母は3つ下の妹の面倒を見ながら、家で内職をしていたのをよく覚えています。
私は家族が大好きでした。
父はいつも「この家族は最高だ!お前たちは自慢の娘だ!」とほめてくれていましたし、母はいつも家にいてくれておいしいご飯を作ってくれました。
ボロボロのアパートだったけど、そこには温かい、私の居場所がありました。
両親との進路の考え方の違いに悩む、中学時代
家に経済的余裕がないと気づいたのは、中学生くらいの時です。
勉強が好きだった私は、上の高校を目指したいと思うようになりました。
いい大学に行きたいからとかそういう理由ではなく、自分の成績に見合う高校に行きたかったんです。
けれど父も母も「女の子だし、商業高校で簿記を身に着けて、卒業後は就職するのがいい」という考え。
周りが当然のように塾通いをする中、私は「塾に通いたい」とは言い出せませんでした。
両親は、塾に通ってまでいい高校に進学させたいなんて考えるはずもないし、塾に行くお金もないし、父と母に迷惑をかけたくないと思っていたからです。
でも商業科に進むつもりのない私に「県立高校だったら、自分の行きたいところに行ったらいいと思う。応援する」と父と母が言ってくれ、進学校を目指すことに。
負けず嫌いでもあった私は、受けられる県立高校の中で1番偏差値の高い高校を目指したい気持ちがありました。
ですが「絶対県立高校に合格しないと!」というプレッシャーと、塾通いをしていなかった不安(塾に通っている子たちは、私の知らない公式や難しい問題をたくさん知っていました)が襲ってきて、チャレンジできなかったのです。
1つレベルを落とした絶対安全圏の高校を受験し、合格しました。
高校時代の話に続きます。
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