高校生時代の話からの続きです。
今日は大学1、2年生頃のお話です。
家庭の経済状況が厳しいにも関わらず、両親が受験料や入学金などの工面をしてくれ、国立大学へ進学できることになりました。
奨学金を借り、授業料をまかなう
大学に入学すると同時に奨学金(貸与型)を借りました。
※最近は返済不要の給付型奨学金もありますね。
私の場合、大学の授業料と奨学金の額がほぼ同じだったので、奨学金は授業料に充てることにしました。
欲しいものはいろいろあったし、両親にはできるだけ負担をかけたくなかったので、自分のおこづかいは自分で稼ごう、そんな思いから私がまず始めたことはアルバイト探しでした。
バイト代は大学生活で必要なものに
幸い4月から塾でのアルバイトが決まり、その後家庭教師などもして、大学1・2年生の頃は、月々5万円くらいアルバイトで稼いでいました。
でも、貯金はほとんどできず。
パソコンのローン、それからPHS(通信費)、自動車学校への通学代といったものの支払いが大半。
それから自分の身の回りの物(服や化粧品、美容院代など)にもお金がかかります。
片道1時間半の大学への往復と学業とアルバイトと、とても忙しくしていたので、遊ぶ暇はあまりありませんでした。
が、友達に食事やカラオケなどに誘われることもあり、そういう時間が唯一の息抜き。友達付き合いに使うお金も必要でした。
当時「節約」まではあまり意識しておらず、自分のことは自分のアルバイト代の中でやりくりする、という感じでした。
家計がさらに悪化、授業料免除制度に救われる
当時、家の家計状況はさらに悪化していました。
妹が県立高校不合格となってしまい、私立高校に進学することになり。
母もパートに出て家計を支え、(そしてこれは大人になって知ったことですが)学資ローンを借り、何とかギリギリで生活している状態でした。
そこへさらに追い打ちをかけたのが、父の数か月の無職期間。
会社内で色々あり精神的にギリギリの状態で働いていた父が、とうとう仕事を辞めてしまったのです。
父のあまりの弱り具合に、母も私たちも退職を思いとどまるよう強く言えず。
次の職は見つかっていなかったので、失業保険を受給しながらの生活です。
いつまで続くのか、もしかしたらこのままずっと父は家にいるのではないかと、不安で仕方ありませんでした。
そんな時大学で、授業料免除の制度があることを知り、ダメ元で申請してみることにしました。
すると、結果は「半額免除」。
半額でも授業料を免除してもらえることになり、本当に安心しました。
振り込まれた奨学金に余りが出た分は、大学への通学定期代と大学でのお昼ご飯代に充てることができます。
これで両親に少しでも負担をかけずに済む、とほっとしたのを覚えています。
父は数か月後再び別の職場で働き始めましたが、前の職場よりもさらに給料が下がってしまい、苦しい家計の状況は続きました。
続きます。
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