先日、私の子供時代のことを記事にしました。
今日はその続き、高校時代のお話をしたいと思います。
この時代に悩んできたこと、頑張ってきたことが、今の自分につながっているような気がします。
大学進学の条件
進学した高校は勉強に厳しい、周囲では学力2番手の進学校でした。
「1番偏差値の高い高校」に少しでも追いつけ追い越せと、先生方の熱量がすごかったです。
早朝や放課後の課外授業に加え、毎日の課題や小テストの多さに、とにかくついていかなければと必死で勉強していました。
そして高校でも悩むことになるのが、やっぱり進路のこと。
両親は入学当時は「高校卒業後は就職」と考えていたと思いますが、高校で進路関係の話を聞いたり、実際私が必死で勉強している姿を見て、大学への進学を徐々に受け入れてくれるようになりました。
奨学金制度を利用すれば、大学の授業料はまかなえそうだという点も大きかったと思います。
ですが経済的に余裕のない家でしたので、
- 自宅通学
- できれば国公立大学
- 大学の学費は奨学金でまかなう
というのが大学進学の条件でした。
行きたい大学に挑戦するか、行ける大学に進むか
自宅から通える国公立大学は、片道2時間以内だと2校のみ。
1つは学力的に手の届きそうな大学。だけど行きたい学科がありません。
もう1つは行きたい学科がある大学。ですが地元最難関(受かる自信なし)。
難関大学を受験してもし失敗したとしても浪人は無理だし、私立に行くと親に負担をかけるし(…というか家計が破綻するのではと本気で心配だった)。
両親としては、学力的に合格圏内の国立大学を受けてくれたら安心だったでしょう。
ですが、学びたい学科がない大学に進むのは抵抗があります。
それに、また高校受験の時と同じように、お金がないから行きたい学校をあきらめる…?
自分がどちらの大学を目指したらいいのかと、悩みました。
多感な時期でしたし、進路のことで母とは泣きながら口論になったこともありました。
心のどこかでは、「難関大目指して頑張って、それでもダメだったら私立に行ったらいいじゃない」と言ってほしかった気がします。
母もまた、本当はそう言いたかったけど、言えないほど家計がひっ迫していて苦しい心の内だったのではないかと思います。
私にできることはとにかく勉強すること。
そう思い、必死で勉強した3年間でした。
父や母はそんな私を見守ってくれました。
勉強するため早朝に登校していた私に、母は毎日5時前に起きてお弁当を持たせてくれました。
当時の母と同じ世代になった今、母がどれだけ大変だったか、どれだけ心配してくれていたかを身に染みて感じます。
父も遅くに仕事から帰ってきて疲れている中、晩御飯くらいゆっくり食べたかったはずです。
ですが父が食事をしているのと同じこたつのテーブルで勉強している私が、父の前に消しゴムのカスを飛ばしたりしても、「消しカスいっぱいたまっとる」と笑いながら見守ってくれていました。
高校の先生方のサポートもあり、苦手科目も何とか人並み程度まで点数がとれるようになり、志望する学科のある国立大学に合格できたのでした。
続きます。
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